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大阪地方裁判所 昭和47年(わ)744号 判決 1973年3月30日

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、「被告人は、韓国に国籍を有する外国人であつて、昭和四三年二月初頃本邦に入国し、大阪市生野区巽四条町一一〇〇の三番地等に居住していたものであるが、右上陸の日から六〇日以内に所定の外国人登録の申請をしないでその期間をこえ、昭和四七年三月五日まで同所等本邦に居住在留したものである」というのであり、右事実(ただし韓国籍は右行為時)は、<証拠>によつて明らかに認められる。

二、ところで本件公訴は右登録不申請行為が外国人登録法(以下外登法と略称する)三条一項に違反し同法一八条一項一号に該当するとしてその刑事責任を問うものであるが、外国人の新規登録申請義務を定めた同法三条一項は、憲法三八条一項に照らすと、以下の理由により、不法入国者には適用されないと解すべきである。

すなわち憲法三八条一項は、何人も自己が刑事上の責任を問われる虞ある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきところ、まず外登法三条一項の新規登録申請における申告内容についてみるに、同条項によれば、右申請に際しては申請書、旅券および写真を提出しなければならないが、右登録申請書の記載事項は、同法施行規則二条(別紙第一号様式)に定められているとおり、申請者の氏名、性別、生年月日、国籍、出生地、居住地、職業、世帯主等のほかに、旅券番号、旅券発行年月日、上陸した出入国港、上陸許可年月日、在留資格、在留期間におよんでいるのである。また、右旅券は、出入国管理令二条五号に規定されているものであつて、同令によれば、外国人が本邦に上陸する際にはその所持が義務づけられ、入国審査官による上陸のための審査を受けて上陸の条件に適合していると認定されれば旅券に上陸許可の証印が押捺され、同時に在留資格や在留期間の決定を受けてその旨を旅券に明示されることになつており、こうした手続を経てはじめて上陸することができることになつている(同令六条ないし九条)から、旅券は適法な入国者であることのなによりの証明文書なのである。そして外登法施行規則三条一項によれば、登録申請を受けた市区町村の長は、この旅券にもとづいて申請事項を審査し、それらが真実であることを確認しなければならないことになつており、また同法一五条の二第二項によれば、市区町村の職員は、申請の内容について事実に反する疑いがあれば、当該申請をした外国人その他の関係人に対し質問をし、または文書の提出を求めて事実を調査することもできるのである。

他方、新規登録申請手続の実際は、このような法規をふまえて、申請書や旅券等のほか陳述書や理由書を提出させて申請事項の内容や本邦に在留することとなつた事情等を説明申告させていることが証人生田八郎の当公判廷における供述によつて認められる。

以上のような法の定め方および手続の実際によれば、不法に本邦に入国した外国人が新規登録申請をする場合には、旅券が提出できず、申請書に旅券関係事項および「上陸した出入国港」「上陸許可年月日」「在留資格」「在留期間」を記入できないこと自体が不法入国の告白であるのみならず、その間の事情を前記陳述書あるいは理由書により、また市区町村の職員の質問によつて明らかにせざるをえない仕組となつているのであつて、実質的にみれば、右申請は、同時に不法入国事実の申告そのものであることが明らかである。

つぎに、右登録申請と不法入国者に対する刑罰手続との関係についてみると、外国人の不法入国は、出入国管理令三条に違反し、同令七〇条一項により三年以下の懲役若しくは禁錮または一〇万円以下の罰金に処せられることになつているから、刑事訴訟法二三九条により、不法入国者の新規登録手続を受けつけた市区町村の職員はこれを捜査機関に告発しなければならず、証人生田八郎の証言によれば、実際に右告発が実行されているほか、出入国管理令六二条二項五項によれば、不法入国者から右申請を受けた市区町村の職員は所轄の入国審査官または入国警備官に対して通報しなければならず、入国審査官は同令六三条一項により不法入国者を告発することになつているのである。そして前記のとおり不法入国者の新規登録申請が同時に不法入国の申告そのものである以上、右告発がたんなる捜査の端緒にすぎないものではないこともおのずから明らかであろう。

すなわち、不法に本邦に入国した外国人にも外登法三条一項の新規登録申請義務ありとすれば、これらの者は右登録申請をしないことによつて不申請罪の刑罰を科されるか、申請することによつて不法入国罪の刑罰を科されるかのいずれかの途を選ばざるを得ないという進退両難の立場に立たされるのである。かくて、右登録申請義務は自己が刑事上の責任を問われる虞ある事項についての供述を刑罰をもつて強要することにほかならないから、憲法三八条一項に反するものといわなければならない。

そこで最後に、憲法三八条一項の自己負罪拒否の特権の保障と外国人登録の必要性との関係について考察するに、右自己負罪拒否の特権が保障される根拠は、強要された不利益な供述は真実を誤る虞が強いこと、拷問の弊害を一掃すべき歴史的事情のほかに、自己を有罪に導くような供述を強要することは個人の人格の尊厳を守るゆえんではないとの近代的個人主義ないし人道主義の精神にあると解すべきであつて、このことは、領土内に居住するすべての一般人について、日本人であると否とを問わず、その居住関係や身分関係を明確ならしめる必要があるからといつて、所在をくらましている犯罪人に対してもその居住関係、身分関係を申請させるなかで自首を強制するような制度が到底容認できないことからも明らかである。外登法は、本邦に在留する外国人の居住関係および身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資する必要から登録制度をとり、在留外国人に登録申請義務を負わせているのであるが、ことは基本的人権の尊重を基本とすべき民主主義国家の法制度のあり方にかかわる問題であつて、法律によつて基本的人権を制限できる場合があるとしても、それはきわめて高度の公共的価値を実現すべき事情ある場合に限られるべきところ、外国人管理のためのその居住関係および身分関係の明確化が日本国民の居住関係および身分関係の把握以上に重要であるとはいえ、憲法三八条一項の保障する自己負罪拒否の特権を奪つてまで登録申請義務を強要しなければならない特段の事情は認めることができない。

したがつて外登法は、本邦に不法に入国した外国人に対しては、同法三条一項の登録申請義務を科してはいないと解すべきである。

よつて本件公訴事実は罪とならないから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。 (梶田英雄)

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